大川家具の原点 -榎津指物ー 日本で言う「指物(さしもの)」の名の由来については、諸説ありますが、ほぞや継ぎ手によって材を組む事を「指(さ)す」といい、又「物指し」を用いる細工をするからとも言われています。 指物(さしも …
大川家具の歴史と榎津指物の起こり1 榎津久米之助は安土桃山時代の天正10年[1582年]8月10日、96歳で死去しました。その後、家臣達は榎津久米之助の精神を受け継いで、榎津指物を製作して(調度品や家具、収納箱、武将箪笥 …
大川家具の歴史と、榎津指物の起こり2 江戸時代後期になると大川には舟大工100名、榎津指物の流れを汲んだ指物師80名が腕を競って、木造船や、建物、建具、組子、欄間彫刻、そして家具調度品を製作していきました。 この頃、田ノ …
大川家具の歴史と、榎津指物の起こり3 江戸時代後期[万延1年](1860年)幕末時代から明治維新にかけて 江戸時代後期の幕末には、大川の榎津指物は、港の更なる繁栄に伴い、指物家具の需要も増えていきました。 榎津指物は舟大 …
『明治時代(明治10年頃)[1877年]』榎津箪笥が生まれる 明治時代になると、いよいよ大川独自の形状をした榎津箪笥が登場します。杉と貴重な桐を主材料に使用して、手作りされた榎津箪笥は、間口巾が一間程ある大型の収納箪笥が …
大川家具の歴史と榎津指物の起こり5 丁寧に仕上げられた、白木のままの生地箪笥は、塗りを施されますが、蝋を塗り込んだ白木仕上げに、拭き漆仕上げ、黒漆塗りを施したものがありました…。特にその後に蒔絵を入れた豪華な仕上げの箪笥 …
大川家具の歴史と榎津指物の起こり6 明治時代中期[明治22年(1889年)]大川木工の(榎津指物)の発展のきっかけ 明治22年(1889年)には、 町村合併により大川町が誕生して、木工関係者が町全体の四分の一を …
大川家具の歴史と榎津指物の起こり7 大正時代の仲買人、問屋業者と小売店 この頃になると、指物大工(生地師)が作る榎津箪笥は、何も塗装をしていない、白木の状態で(生地仕上げ)仕上げられた箪笥を、仲買人や問屋業者が買い取って …
大川家具の歴史と榎津指物の起こり8 新しい波乱の昭和時代 昭和元年[1926年]昭和の幕開けは大正12年の関東大震災の煽りもあり、昭和金融恐慌[1927年(昭和2年)]が発生して日本国内は不況の波が押し寄せます。 しかし …
大川家具の歴史と榎津指物の起こり9 大正時代から昭和の戦前迄には桐箪笥の職人達と、雑木箪笥(楠や欅、栗、桜、楢、セン壇等の広葉樹)の職人達が、手作りで製作をしていました。 その職人の六割以上は桐箪 …
大川家具の歴史と榎津指物の起こり10 戦時中の大川 大川で木製飛行機の製作 [品質日本一]軍の評価 練習機『白菊』の主翼製作 大川で戦闘機の木製飛行機を製作していたのは、大川市酒見中原にあった「旭航空機製作所」。 旭航空 …
大川家具の歴史と榎津指物の起こり11 第二次世界大戦後の異常な大川 戦争での敗戦は、日本の住宅や設備、文化や人間の心までも、全てを破壊して終結したが、全国の戦災復興や炭鉱住宅等の需要が一斉に始まり、大川には異常な木工ブー …
大川家具の歴史と榎津指物の起こり12 座の生活から、 椅子の暮らしへ 畳の間が少なくなり、ダイニングキッチンやリビングルームに変わっていった事で、家具のデザインは一変して行きます。 お茶の間のちゃぶ台はダイニン …
大川木工祭が始まる 日本の戦災復興は目覚ましい早さで進み、やがては、高度成長期を向える事になります。 昭和24年(1949年)大川は国の指定「重要木工集団地」に指定され(旭川、高崎、東京、荒川、新潟の加茂、和歌山と共に) …
―戦後の大川家具の急成長― 終戦後の異常な時代背景の中で、日本人の生活様式は大きく変わって行きました。 家具の洋風化が進み、ダイニングテーブルセットに洋食器棚、そしてリビングセットや洋風にデザインされた婚礼セット等の需要 …
-職人の街、木工の街、令和の大川- 大川家具は、中小零細の各木工所によって守られて来ました。 大川の最盛期とは戦後という異常な時代に翻弄され、その与えられた量産家具を生産する事で、戦後復興の役割を果しながらも、社会に貢献 …