480年の歴史ある福岡県大川市の桐家具の専門店「桐里工房」が制作する伝統工法で組み上げたモダンなデザインの囲炉裏テーブル

大川家具の歴史と榎津指物の起こり10

大川家具の歴史と榎津指物の起こり10

戦時中の大川

大川で木製飛行機の製作

[品質日本一]軍の評価 練習機『白菊』の主翼製作

大川で戦闘機の木製飛行機を製作していたのは、大川市酒見中原にあった「旭航空機製作所」。

旭航空機製作所は1943年(昭18年)12月に設立されました。

場所は、中原公民館の近くにあり、巨大な平屋建物が密集していました。地元の材木商が、戦況報告会で飛行機が足りない事を知り、資本を投じて設立しました。
当時は成人男性の軍需工場への徴用が多く、大川に木工飛行機の工場を作る事は大川の木工技術者の「徴用逃れ」との側面もあったとの見方もあります。
この工場で作られた部品(主翼と尾翼)は春日市の九州飛行機製作所まで運ばれ、そこで機体を組立てていました。   1944年の3月に生産を初めて、わずか15日の3月15日には初号機に用いる主翼等が完成しました。

これらの部品(主翼、尾翼)、軍の強度検査で『木製飛行機の強度で日本新記録』と評価され、ここでも大川の木工技術の高さが日本一と軍需省から労いの賞状が届いたほどでした。

 工場は主翼班、尾翼班等、10班に分かれて作業をする班制度を取っていました。大川の木工技術者や大川工業学校(後に筑西工業学校とも呼ばれていた)の学生などや女性も加わり常時700人がいて、この中に桐里工房の従業員であった、故黒田氏がこの事業に大川工業学校の生徒として動員されていたと本人から聞いていました。

この他に、戦時中の大川には、大川航空(株)、古賀航空機製作所、八大航空機製作所、勤労者航空機製作所など、5つの飛行機製作所がありました。大川の木工技術者を大川に留めたと云う事も考えられます。
この飛行機の製作によって考案された、各班に分かれて作業を行う生産方式は、戦後の量産家具の製作に取り入れられます。
大川の木工関係者のたくましさが感じられます。

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